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知床エクスペディション

知床半島周回シーカヤックツアー「知床エクスペディション」を主催するガイド・新谷暁生のブログ。

追悼 池端峻一君 

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追悼 池端峻一君 

8月18日夜、かつて共に知床の海を漕いだ友、池端峻一君が交通事故で亡くなった。まだ34才だった。彼は私たちのあいだで池ぽんと呼ばれていたが、どうしてそう呼ばれたかはわからない。あの時のチームはみな若く仲が良かった。陽気で働き者の彼はみんなから好かれていた。
4年前、池ぽんと漕いだ知床は悪かった。冬型の気圧配置でオホーツク海は常に波高かった。彼は初心者であるにもかかわらずシングル艇に乗ることを希望した。しかし出艇後間もなく転んだ。その後も沈を繰り返し、嵐のルシャでは柴田丈広に抱きかかえられて上陸した。大しけのルシャでカヤックは次々と転覆し、波が渦巻く海上にはあちこちにカヤックが腹を出して漂っていた。海に放り出された人々はなすすべもなく水に浮かんでいた。私の判断の誤りがあの危機を招いた。
カムイワッカに上がれば良かった。あそこならまだ上陸できた。しかし沢水が硫黄で飲めないことを一瞬考え、それで先に進んだ。あの日はイダシュベの浜にとどまるべきだったのだ。柴田丈広も新井場隆雄も、口には出さなかったが私の失敗を解っていた。あの時壊れなかった艇はわずかだ。鍋もヤカンもつぶれた。しかしありがたいことに命だけは無事だった。上陸後、PFDもスプレーカバーも外さず救助に走り回り、けが人を介護していた池ぽんを思い出す。
二日間待ったが海はいっこうに良くならなかった。私たちは海岸にカヤックをデポし、通行が禁じられている知床林道を歩いてウトロに戻った。半月板が割れていた私には辛い道のりだった。カヤックの回収にはその後15日かかった。
池ぽんとはその後一度しか会っていない。しかし彼の話はひとづてに良く聞いた。新潟でいろいろなことに取り組み、畑を借りて米を作り、手伝った造園屋の親方に気に入られ、庭造りに興味をもっていたという。少し前、彼はパタゴニア白馬店で週に何日か働くようになった。真面目な彼は可能性を探し求めて様々なことに取り組んでいた。きっとパタゴニアもその一つだったのだろう。
若い人が死ぬのは悲しいことだ。池端峻一の死は多くの友人、何よりもご家族にとって耐えられない辛いことだと思う。私は池ぽんとともに今はない大勢の友を思い出す。彼らも同じようにかけがえのない宝だった。またひとつ私の中で悲しい記憶が増えた。彼の友人、ご家族にお悔やみ申し上げるとともに、夢なかばにして逝った池ぽんの霊に、深い悲しみとともに哀悼の意を捧げる。 
合掌  

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プロフィール

名前
新谷暁生
性別
男性