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知床エクスペディション

知床半島周回シーカヤックツアー「知床エクスペディション」を主催するガイド・新谷暁生のブログ。

北方海域と船 探検と冒険の物語

北方民族博物館 講座要旨
イヌイットやアリュートは、はるか昔にアジアからアメリカへと渡った人たちの末裔であり、私たち日本人と同じルーツを持つ。2万年前、二つの大陸はベーリンジア(ベーリング陸橋)と呼ばれる氷床でつながり、北方圏はすべて氷に覆われていた。人々は氷の回廊に獲物を求め、やがてアメリカ大陸に達した。
アジアの出発地から海獣猟に優れていたアリュートは、ベーリンジアの海沿いを移動した。獲物はアザラシ、アシカ、カイギュウなどだった。彼らは約1万年前、今日のアリューシャン列島のアナングラに達する。アナングラは氷に覆われたベーリンジアの西端だった。前方には黒々とした太平洋が広がっていた。やがて氷が解け、山並みが屹立して島となった。人々は移動を終えてそこに定着した。

アリューシャンは今も昔も豊かな海だ。狭い水道にはクジラが行き来し、川にはサケやマスが遡る。海岸の浅瀬は貝やウニ、海藻類の宝庫だ。トドは主食であり、その皮は舟の外被になった。アリューシャンは不毛の土地だが、狩猟民にとってそこは天国だった。
人々は海から全てを得ていた。豊かな食は人を健康に保つ。アリュート人は長命であり食がそれを支えた。16世紀日本人の平均寿命は20歳にも満たなかった。同じ時代のアリュートは、70を越えても海で仕事をした。社会の成熟と文化の発展は、知識の集積によって成される。長寿がそれを可能にした。老人は知恵深く、若者はそれを敬った。
アリュート文化はウムナック、ウナラスカ、アクタンなど東部アリューシャンの島々で発展した。彼らはアラスカの諸部族と交易し、民族の血を維持するために女、子供をさらった。西への移動はゆっくりと行われた。急ぐ必要がなかったからだ。彼らの生活圏はやがて西のアッツ島まで拡大した。
アリュート文化の中心は皮舟、つまりカヤックだ。ところでカヤックはアリュート語ではない。イヌイットの言葉だ。フリチョフ・ナンセンの北極探検以降、これが皮舟の一般的な呼称となった。アリュート自身はカヤックをィ・クャフ(ikyak)と呼んだ。バイダルカとも言う。しかしこれはロシア語だ。アリュートも他称だ。彼らは自らをウナンガンと呼んだ。
18世紀、ロシアはアリューシャンを発見し、カヤック猟に優れたアリュートをラッコ猟に従事させた。1万年もの間、火山の噴火、地震や津波などの天災で壊滅的な被害を受けながらも、ひとつの言語と文化、技術伝統を守り続けたアリュート民族は、西欧の覇権主義国家に僅か数十年で滅ぼされてしまった。
アリュートの皮舟とはどんなものだったのだろうか。列島は外界と隔絶され、交通手段は舟だけだ。嵐は凄まじいが海は凍らない。条件が良ければ舟は出せる。年の半分以上が氷に閉ざされる北極圏のイヌイットに比べ、アリュートの皮舟の歴史時間ははるかに長かった。彼らは目的に合わせて様々な舟を作った。
遠方との交易のために二人乗りの舟が作られた。大型の皮舟は耐候性とねじれ剛性を高めるため、骨組みを丈夫にしなければならない。皮舟は頑丈で緻密な構造になり、櫂(かい・パドル)も改良が繰り返された。17世紀初頭、エゾ地松前に皮舟が現れた。彼らはラッコ皮や珍しい鳥の羽などを持参した。言葉は全く通じなかった。この人たちがアリューシャンからやってきた可能性は高い。
狩猟用の皮舟も進化した。クジラは流れの速い水道を行き来する。アリュートはそこでクジラを追った。彼らは流れに乗ってクジラを目指す。そして投槍器で銛を投げる。しかし銛を撃つ時に櫂(パドル)は使えない。そこでアリュートは驚異的な仕掛けを考えた。水線下に前方に突き出る舳(へさき・バウ)を設けて船首を上下二重にし、手放しでも直進する舟を作ったのだ。更に彼らはトドやオットセイなどからヒントを得て骨組みに関節を持たせた。そうすれば追い波で舳が水に突き刺さっても、やがて浮かびあがる。
アリュートの皮舟は極限にまで進化した。二重船首と同様にアリュートカヤックを特徴づけるものとして、アラスカ半島のカヤックにも見られる垂直の艫(とも・船尾・スターン)がある。これは流れや追い潮を推力とするために考えられたものだ。アリュート文化はアラスカ沿岸の諸部族にも大きな影響を与えた。
ロシア時代に入ると水線下の舳は消えた。ケルプの中でのラッコ猟では邪魔であり不要だからだ。19世紀初め、ロシア人が指揮する数百の皮舟がラッコを求め、はるかカリフォルニアにまで遠征した。皮舟は規格化され、ロシア人の目的に沿うものになった。二重船首は残った。それはアリュートの皮舟であることを主張するかのように、反りあがった飾りとして残された。
もうアリューシャンで皮舟が使われることはない。アリュート民族とその優れた海洋狩猟文化は滅びた。往時の皮舟はただ伝説として語られるだけだ。私はアリュートの海を漕ぎ多くを学んだ。失われた文化は甦らない。 


上記の内容について、北海道立北方民族博物館で講座を行います。
「北方海域と船 ―探検と冒険の物語ー」
日時:2014年8月30日(土)13:30~15:00

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プロフィール

名前
新谷暁生
性別
男性