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知床エクスペディション

知床半島周回シーカヤックツアー「知床エクスペディション」を主催するガイド・新谷暁生のブログ。

知床の春(『北の山河抄』から)

冬が終わり、再び知床の仕事が始まった。アンヌプリ大沢や鉱山の沢での事故は幸いにも起こらなかった。規模の大きな全層雪崩は鉱山の沢で3度、起きた。しかしいずれも予想されたサイズの半分以下だった。春の雪崩の危険を大勢が理解しためか、沢を滑る絶対数は減った。それでも危険な目に遭った人はいたようだ。私は4月27日の臨時雪崩情報109号を最後に調査所の仕事を終え、後を斉藤、松浦両パトロール隊長に託した。5月6日、ニセコの全スキー場はクローズされた。
私は4月30日から5月5日まで知床を漕いだ。半島をカヤックで周るこのツアーは、日本では稀な原始環境を漕ぐ旅として「知床エクスペディション」と呼ばれている。私はガイドとして20年以上にわたってそれを続けているが、60をとうに越えた体にはそろそろきつい。事故で痛めた両手は悪いままで、膝は不気味な音がする。山から海へ、まるで違う環境への移行は、今の私にとって簡単ではない。することが解っていても動きが鈍い。大事なのは過去の実績や経験ではない。今の俊敏さとタフさだ。もう潮時なのだ。私は泥縄式に準備をして車に道具を積み込み、スキー場の車庫からカヤックを積んだトレーラーを引き出して出発した。

今年最初の知床エクスペディションのメンバーは、私を含め7名、うち2人がアシスタントガイドだ。知床では移動や輸送に時間がかかる。私は基地の知床自然村から車を走らせ、空港に参加者を出迎える。そしてウトロに戻る。往復で約4時間かかる。それから半島の向こうのアイドマリまで車を回す。海を漕ぐ以前に私はドライバーだ。春は知床峠が雪で通れない。そのため車の移動は大仕事だ。今回、私は天候や海の状況、車の回送を考え、根室海峡側のアイドマリから出発することにした。

4月30日早朝、ウトロを出発する。カヤックを積んだトレーラーをレジアスエースで牽き、みんなで知床山脈の付け根にある峠、根北峠を越えた。そして道路終点のアイドマリまで車を走らせた。2時間半かかった。それから大木さんの倉庫から必要な道具を出し、浜で艇に荷物を積み込み午前11時に出艇した。この時期の水温はほぼ0度だ。全員がドライスーツを着る。尻に伝わってくる海水は氷のように冷たい。私は岸から離れないよう注意して艇を進める。こうすれば何かあってもすぐに陸に上がれる。緑はどこにもない。海岸には枯れた草と残雪の斜面が続き、海上は冷気に覆われている。私はこの時期の知床が好きだ。知床岳の斜面に雪崩の破断面が見える。かなり新しい。4月に入ってからのものだろうか。

ペキンノ鼻まで漕いで一日目を終えた。初日はいつも緊張する。流木を集めて火を焚く。それから飯を作る。酒も飲んだが寒いので酔わない。山を登っていた時代、私は酒をあまり飲まなかった。重いからだ。しかし海では上陸すれば飲む。カヤックの積載量は大きい。

2日目、メンバーの森田さんがカブト岩近くの狭い水路で転んだ。しかし必死のロールで起き上がってきた。この快挙を祝ってその場所を「森田水路」と名付けた。この日は岬近くの赤岩に泊まった。3日目に岬をかわし、オホーツク海に入った。海は穏やかで心地良い。岬の台地から銃声が聞こえた。知床ではシカの食害が問題となっている。木や草を食べ尽くしてしまう。それで最近は積極的に間引きが行われている。突然、ライフルを背に知床財団の山中さん(現知床博物館館長)が岬の丘の上に現れ、流れ弾に注意するようにと叫んだ。こんな光景がここでは当たり前だ。これが日本なのだから驚く。知床の自然はこのような人たちによって守られている。

この時期にいつも海岸にいるヒグマたちの姿はない。大雪で餓死したエゾシカの死肉を森で食べているのだろう。しかし最近は生きたシカを襲うヒグマも増えている。日当たりの良い西側は東海岸より春が早い。オホーツク側に回り込むと、フキやイタドリ、イラクサの新芽を食べる親子連れを目にするようになった。

この日は落合湾と呼ばれる小さな入江に泊った。湾口の岩礁帯には、流氷が氷河のように拡がっている。崖の上の草原は日当たりが良く暖かだ。私たちは昼寝をした。落合湾は良いところだ。湧き水も流木も豊富で、三方が崖に守られている。ここでは夏になると入江を泳いで渡るヒグマの親子を目にすることができる。

4日目、南の風が強まってきた。カシュニの番屋と呼ばれるあたりまでルシャの出し風が達している。雨も強まった。やがて海上に水煙が立ち始めた。これ以上の行動は危険だ。カシュニの滝の出張り(岬)から先は強い風が吹いているだろう。ここはまだ風から守られている。廃屋だが番屋もある。それで泊ることにした。この番屋が放棄されてから3年経つ。使わない建物は見る間に朽ちる。窓ガラスは割れているが屋根はある。中を片づけて寝床を作った。平らな床はありがたい。

翌日風が少し弱まったのでルシャを越える。そしてポンベツの先の浜に上がった。小沢があるが、増水して茶色く濁っている。しかし煮沸して沈殿させれば飲める。火をおこし大ヤカンで水を沸かす。この先のイダシュベツの浜まではまだ遠い。そこまでの沢水は硫黄混じりで飲めない。それに良い浜もない。海はどんどん悪くなってきたので泊まることにした。

テントとタープを海岸近くに張る。タープはモンベルのビックルーフだ。四隅に重い石を載せて三方の壁に石を並べて塞ぎ、一か所を入口にする。そして中に2メートル弱の支柱を立てる。4人は寝られる。メーカーはこのような使い方を想定していない。しかしこれは極地用テントのように、かなりの強風にも耐える。しかし最近のビッグルーフは生地が薄くなり、石を乗せると裂けるのでこの方法は使えない。私は古い昔のものを、直しながら使っている。

テントはそれほど丈夫ではない。だが風が強まれば、ポールを抜いてテントをつぶせば良い。今回すでに羅臼側で一度、この方法でテントの破壊を切り抜けている。ドーム型のテントは風に弱い。耐風性を上げるためには生地を厚くしてポールを太くし、その本数を増やさなければならないが、それでは軽さと設営の容易さが失われる。

タープに落ち着いた頃から風と雨が一層強まってきた。 焚き火の調子が悪い。4時の天気図を取る。書き終えて私が「ゲゲっ」とうなったのを誰かが聞いていた。日本全体が低気圧の渦の中だ。東風が強い。しかしここは山脈の風裏だ。なんとかなるだろう。

晩飯が出来かかった夕方6時、風が一気に強まった。海は瞬く間に険悪な様相になった。大きくうねり、風波で真っ白だ。地形と気圧配置から、風はそれほど吹かないだろうと希望的に考えていたが、間違いだった。風が知床山脈を乗り越え、まるでダムからあふれ出る水のように吹き下ろし始めた。一瞬でテントのポールが折れた。立っていることすら困難だ。何もせずにいれば致命的な事態を招く。私は即座に背後の森に逃げることを決めた。

大声で指示を出すが、声がかき消される。雨具を着てヘッドランプを用意する。私は手近のものを抱えて森に走り、避難場所を探した。あたりはもう薄暗い。森の中も強風が吹き荒れている。ビバークの場所を誤れば、倒れてきた木の下敷きになる。

カヤックを全員で森の縁まで運び、厳重にザイルで縛った。艇を失えば帰ることができない。そのあとで食料や個人装備を運んだ。歩くのもままならない。まるで竜巻の中にいるようだ。漁師ガッパを着ているのでなんとか作業できるが、時々吹き倒される。目も開けられない。吹きつける雨は海水が混じっているのか塩辛い。海岸は横殴りの暴風雨となり、流木や土砂が巻き上げられて飛んでくる。森の奥に平坦地を見つけてタープを張り、荷物を放り込んでようやく落ち着く。そして木が倒れないことを祈る。私は胸の数珠に手をやった。

夜10時、冷めた晩飯を食べる。嵐が来る前に食べれば良かったが、遅かった。しかし沸かした水もあるし食べものもある。タープさえ破られなければなんとかなる。明るくなれば状況も変わるだろう。少し風が弱まったので、壊れていないほうのテントを張る。これで全員足を延ばして寝られる。もう少し余裕ができれば火も焚ける。何人かの寝袋はテントの中に拡げてあった。それで絞れば水が出るほど濡れてしまった。しかし羽毛は体温さえ伝われば膨れる。そう言って安心させた。

ウールの肌着やセーターは、濡れても着てさえいれば、体温を守ってくれる。昨年5月にも痛い目にあっている山田さんは、震えているメンバーにウールの肌着を貸し、同じく昔ひどい目にあったケニヤはダウンセーターを誰かに貸していた。関口ケニヤはキャベツが凍るほどの吹雪の海岸で、ウエットスーツと長靴をはいたまま寝袋に潜り込んで泣いたことがある。

状況は悪い。明日はとても漕げないだろう。山も海も吠えている。私たちは腹をくくった。そしてなんとなくホッとして酒を飲むことにした。やがて眠くなり会話も途切れた。私たちは湿った寝袋に潜り込んで朝を待った。夜中に風が弱まり、トラツグミが鳴き始めた。

次の日、私たちは再び海に出ることができた。風はまだ強く、波は高かった。しかし漕げる。打ち寄せる波のタイミングを見計らって出艇する。イワオベツとホロベツの出合いは予想通り羅臼岳から吹き下ろす風が強い。水煙が走りまわる中を漕ぎ続けた。知床五湖の断崖の雄大な景色を見る余裕はなかった。私たちは夕暮れ前にウトロに帰り着いた。重いカヤックを浜に曳き上げる時、私は力尽きて転び、仰向けになったまましばらく空を見上げていた。楽な旅ではなかった。

 

ガイドの果たすべき役割とは何だろうか。それはフィールドによって異なるものなのだろうか。知床で私はお客の安全すべてに責任を負う。一人の装備の不具合が、時にチーム全体の安全に影響を及ぼす。だから個人装備をチェックし、木綿の衣類を除外して毛の肌着を貸し、時には布団のように巨大な化繊の寝袋を、かさ張らないダウンに替える。漁師合羽を貸すことも多い。知床では時にビー玉のような激しい雨が降る。ここで雨具に求められるのは防寒性だ。ナイロンの雨具一枚では、たとえそれが透湿防水に優れたゴアテックスで、仮に中が濡れなくても雨の水温と水圧、そして風によって体温が奪われる。生地が肌に張り付き、空気層を失って気化熱が体温を奪うからだ。中間着としてのフリースは、乾いていれば優れた防寒衣料だ。しかし濡らせばウールのような保温力はない。だから私は使わない。化学繊維は速乾性に優れるが、それは乾かせる条件があっての話だ。嵐が吹き荒れる屋外で着衣を乾かすことはできない。

私はゴアテックスを否定しない。それどころか大変感謝している。娘の心臓にはこの素材で作られた人工弁が使われている。おかげで生意気だが元気に育っている。しかし使い方を誤ってはならない。これは革新的な素材だが、万能ではない。もし悪天候の中でこれらの透湿素材の雨具を使うなら、直接肌にカシミヤなどの羊毛製品を着ることを奨める。地肌に着たウールセーターは常に繊維間の空気を閉じ込めて暖かく保ち、濡れても体温を守る。よく縮みやフェルト化、痒みが問題にされるが、かゆさで人は死なない。

私は完全防水の漁業用雨具を使っている。漁師合羽は重く動きにくいと言われる。そんなことはない。漁師の作業用なのだ。動きやすい。私は他のものを減らしてもこれを持つ。モンスーンのヒマラヤのアプローチでもパタゴニアやアリューシャンでも、私はこのアウターを最も重要な道具として使ってきた。漁師合羽は無敵だ。雨季の放牧地の糞尿まみれの泥の中で、あぐらをかいて酒が飲める。

アウトドアバブルがはじけたせいか知床エクスペディションの参加者は様変わりした。この仕事もいずれ終わるだろう。雪崩事故防止の取り組みもそうだが、同じことを言い続ければ、人々はやがて耳を貸してくれるようになる。私は流行に右往左往する人たちではなく、少数の人の役に立つことが出来れば良い。冬と同様、人々の安全に努めるのが私の仕事になってしまった。それは割の良い仕事ではなかったが、やるに値することだった。時の経つのは早いものだ。


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プロフィール

名前
新谷暁生
性別
男性